アカシア病院物語PART1『院内トラブル・スケッチ40幕2005年版』より
著者:楡一郎
ACT 1
この4月、われらがアカシア病院医事課にも3人の新人が加わった。地元の高校を出たばかりの18歳の娘たちである。皆、それぞれに可愛い顔だちをしているのだが、例えば、「キミたち、1500点に1500点の100分の50を足して2を掛けるといくつだね?」などと尋ねようものなら、「うそォ」「やだァ」「信じらんなァい」と散々ぐずったのち、うらめしげな顔で電卓を持ち出し、キイを叩いてはやり直し、互いに額を寄せてはあーだこーだと議論を交わして、ようやく出した答えが「だいたい5000点」。
この3カ月間、僕の仕事の相当部分はこの3人娘の教育に費やされている。
ACT 2
午後4時30分。医事課室の片隅で、今日も終業前30分の定例の〝基本医事講座〟を始める。受講するのは例の3人娘――浅田、菊池、工藤。本日のテーマは「領収書」。
楡「領収書とは金銭を受け取ったことを明らかにする証書のことです。一方、同じようによく使われる言葉で受領書という言葉がありますが、これは物品を受け取ったことを明らかにする証書のことです。この違いはわかりますね?」
三人(声を揃え)「はーい」
元気だけはいい。が、それも最初だけ。
楡「それでは、領収書について、その記載要件、すなわち領収書には何を記載しなければならないか、わかりますか?」
三人「わかりませーん」
楡「少しは考えてみましたか?」
三人「うーん(と3秒ほど腕組みなどして)やっぱりわかりませーん」
楡(ため息)「法律上の規定はないのですが、領収書の性格から最低限必要な記載要件として、〝領収書〟という名称、日付、金額、発行者氏名・住所・押印、相手方氏名、但し書き―などが必要です。また医療機関の場合は、発行者は医療機関となるわけですが、金銭受領権限者すなわち病院長の氏名と押印が必要な場合もあります」
ここで言葉を切る。彼女たちがメモを取る時間を配慮してだ。が、彼女たちは顔をあげたまま僕のほうを見ている。目が合った。ニコッと笑い、「?」という顔をしている。
――先を続けよう。
楡「この領収書の記載の際、金額の数字が書き換えられないよう注意しなければなりません。どうすればいいかわかりますか?」
浅田「鉛筆じゃなくペンで書くことでーす!」
楡「うむ、まあ…」
菊池「美恵子、すんごーい、大正解!」
工藤「よくわかったねぇ、テンサーイ!」
浅田「エヘン、エヘン」
楡「――(ため息)あのね、キミたち、確かにそれもそうだが、そんなことは常識以前の問題であってね――」
浅田「(表情凍りつき)そ、そんな…」
菊池「ひどいわ、主任、常識以前だなんて」
工藤「そうよ、それじゃまるで美恵子が常識がないみたいな言い方だわ」
楡「い、いや、そんなつもりで言ったわけじゃなくてだね…」
菊池「いえ、そうよ、常識以前てことは明らかに〝非常識なバカ〟ってことよ」
工藤「そうよ、おまえは〝非常識で救いようのないバカ〟だって断言して宣告して文書通達してるようなもんだわ」
菊池「〝非常識で救いようのないどうしようもないバカ〟だなんて断言されて、美恵子がかわいそう…」
工藤「〝非常識で救いようのないどうしようもない天然バカ〟だなんて、いくらなんでも言い過ぎよ」
楡「いや、だからね、その、つまり…」
浅田「いいのよ、いいのよ、あたしはどうせ〝非常識で救いようのないどうしようもない天然バカ〟なんだから(泣きだす)…」
――結局、僕が謝り、なだめ、あやして、3人に今夜の晩メシを奢る約束をし、ようやく落着。時計を見ると、終業5分前…。
ACT 3
楡「領収書の金額を書き換えられないようにするには、縦書きの場合は『壱、弐、参』という漢数字を使い、横書きの場合は金額の頭に『金』または『¥』、最後に『円』を付け、3桁ごとにコンマで区切るようにすることです。わかりますね?」
三人(声を揃え)「はーい」
晩メシを奢る約束をしてからは、3人ともすこぶる機嫌がいい。現金なやつらだ。
楡「また、印紙税法第5条には、3万円以上の受取に際しては印紙の貼付が義務づけられています。しかし、同条にはまた、健康保険法に係る証書については非課税扱いとすると規定されています。つまり、医療機関が発行する領収書には、金額の多少にかかわらず印紙貼付は必要ないということです。なお参考までに言っておくと、一般の3万円以上の領収書で印紙貼付がない場合でも、領収書としては通用します。その場合は、発行者に対して、印紙税法違反として過怠税の徴収が課せられるわけです」
3人とも、一応頷いてはいる。理解のほどは大いに疑問だが、さわらぬ神に祟りなし、今日のところは、ともかく先を続けよう。
楡「また、医療機関の窓口ではよく、領収書の再発行の依頼があります。ですが、この依頼には応じる義務はありません。しかし、それでは患者さんも困ってしまうので、その際には文書作成手数料をいただいて『支払証明書』を発行すればいいわけです。一方、再発行に応じる場合には、『再発行』という表示を必ず領収書に記載し、日付も再発行日にしなくてはいけません。また、領収書の金額を書き換えたりした場合は刑法一五九条『私文書偽造罪』に問われますので、注意してください。――どうですか、ここまでで何か質問はありますか?」
浅田「はーい、ありまーす」
楡「どの点だね、浅田くん?」
浅田「今夜はお寿司か、しゃぶしゃぶか、フランス料理かと思ってるんですけどォ、主任はどれがいいですかァ? 私としてはフランス料理が一押しなんですけどォ」
菊池「私はお寿司なんですけどォ」
工藤「私はしゃぶしゃぶなんですけどォ」
浅田「その全部でもいいんですけどォ」
――好きにしてくれ…。(さすがに病院名で領収書は落とせんよな、この場合…)。
A5判/1,500円+税
最終更新日:2018年09月11日
カテゴリ:【医療事務】アカシア病院物語PART1~3
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